ミスを指摘したはずが、
自分の記憶違いだった――。
そんな恥ずかしい経験、ありませんか?
「おい、それ誰のミスだ?」
現場でトラブルが起きたとき、まずこういう声が飛ぶ
怒り、探り、詰める。そして、誰かが責められる。
でも、その光景を見るたびに思うんだ。
“本当に、その人のミスなのか?”って。
なぜなら――
オレ自身、リーダーの指示に従っただけなのに「なぜやらなかった」と責められ、始末書まで書かされた経験がある。
もちろん、怒る側には責任がある。
でも同時に、怒られる側にも「記憶を疑う視点」は必要だ。
人間の記憶なんて、案外あいまいで、都合よく書き換えられるものだから。
怒る前に、まず自分の記憶や判断を疑ってみる。
その一呼吸があるだけで、現場の空気は変わる。
信頼も、トラブルの質も、まるで違ってくるんだ。
ミスの指摘はまず事実確認から

「オレのせいじゃない」「そんなの聞いてない」──
現場でトラブルが起きたとき、よくこんな言葉を耳にする。
そして始まるのが、“誰が悪いか”を決める探し合いだ。
怒る人は声を荒げ、責められた側は「いや、それは…」と否定しはじめる。
その空気、ピリつくし、誰も得をしてないのに、なぜか毎回そうなる。
でもオレは、そんな場面に何度も遭遇して思うようになった。
**「これ、もう茶番だよな」**って。
昔の話だけど、期間工として働いていたとき、退職が決まり、
後任に作業を引き継ぐために、丁寧にひとつひとつ教えていた。
そこへ若いリーダーがやってきて、こう言ってきた。
「そこまで確認しなくていいですよ」
正直、まだ早いんじゃないか?とは思ったけど、
「じゃあ、そうしときます」と素直に従った。
ところが、わりとすぐにミスが起きた。
で、どうなったか?
そのリーダーが、真顔でこう言ってきたんだ。
「なんでちゃんと確認しなかったんですか?」
いやいや、あなたが「確認しなくていい」って言ったよな?
オレはそう反論した。すると、彼はこう言った。
「そんな指示はしてません」
絶句したよ。
当時、オレが教育してた新人作業員もその場にいて、
「たしかに、あの人がそう言ってました」と証言してくれた。
でも、関係なかった。オレは始末書を書かされた。
現場ってこういうこと、珍しくないんだ。
怒る側も、怒られる側も、都合よく“記憶”を使ってる。
冷静に見れば、どっちも真実じゃない可能性がある。
それでも、自分の言い分が絶対に正しいと思ってぶつかり合う。
でも本当は、記憶なんてけっこうあやふやなものなんだ。
誰かを責めたくなったときこそ、
「本当に自分の記憶は合ってるのか?」って、一度問い直してみる。
それだけで、こうした“茶番”はずいぶん減らせると思う。
ご指摘ありがとうございます!
そこ、ちゃんと丁寧に解説し直しますね。
ロフタス博士の実験の内容を、現場感のある例えも交えて、もっとわかりやすく噛み砕いてみましょう。
自信があってもまず自分を疑え

心理学の研究では、人の記憶はけっこういい加減なものだってわかってる。
特に有名なのが、アメリカの心理学者エリザベス・ロフタス博士の実験だ。
こんな実験がある:
- あるグループの人に、車同士の事故の映像を見せる
- 映像を見たあと、質問する文の“言葉”を変えてみる
あるグループには、「赤い車が軽く接触したとき、どのくらいスピード出てた?」と聞き、
もう一方のグループには、「赤い車が激しくぶつかったとき、どのくらいスピード出てた?」と聞いた。
すると、「激しくぶつかった」と聞かされたグループの方が、
実際よりスピードを速く見積もったり、割れてないガラスを“割れてた”と記憶したっていうんだ。
つまりね、
あとから聞いた言葉や印象の強さで、見たはずの映像の“記憶そのもの”が書き換わっちゃったってこと。
これ、すごくない?
たとえば現場でいうと、
- 「昨日オレがちゃんと説明しただろ?」って強めに言われると、
→ ほんとは説明されてなかったのに、「あれ…されたっけ?」って思い始めたり - 「あのとき確認しましたよね?」って断言されると、
→ 自分の記憶もあいまいで、相手の言葉を信じちゃったり
でも、それって**本当の記憶じゃなくて、“思い込まされた記憶”**なんだよ。
しかも怖いのは、
人は「自信がある記憶ほど、正しい」と思いがちだけど、そうとも限らないってこと。
現場ではよくあるじゃん?
「絶対言いましたよ!」「オレ、ちゃんとやりましたよ!」って自信満々で言ってるけど、
あとで記録見たら「…あ、やってなかったですね」ってなるやつ。
だからこそ、「オレの記憶は本当に正しいのか?」って、疑うクセがすごく大事なんだ。
指摘前の3つの自問自答

現場でミスが起きると、つい口から出る言葉がある。
「なんで確認しなかった?」
「どうして間違えるんだよ」
「ちゃんとやれって言ったよな?」
…でもちょっと待ってほしい。
そのセリフを言う前に、たった3つ、自分に問いかけるだけで、
空気はガラッと変わる。
「オレの記憶、本当に正しいか?」
さっきの話を思い出してほしい。
記憶って、自信があるときほど間違ってることがある。
「言ったはず」「伝えたつもり」
でもそれ、本当に言った?ちゃんと伝わる言い方だった?
一度、心の中で「……言ったっけ?」と自分に聞いてみるだけで、
怒りがワンテンポ遅れて、冷静になれる。
「指示に、曖昧さはなかったか?」
よくあるのが、“そこまで言ってなかった”パターン。
「ここはこうやってね」だけ言って、
その理由や背景まで伝えてなかったら、相手はただのマネごとになる。
相手の理解に頼らず、**自分がどこまで丁寧に説明できていたか?**を確認してみよう。
「ただの感情になってないか?」
怒ること自体が悪いわけじゃない。
でも、「イラついたから」「自分のせいにされたくないから」といった感情が混じってると、
それはもう“指導”じゃなくて“攻撃”になってしまう。
「オレの感情、ちょっと入りすぎてないか?」と
一歩引いてみることが大切だ。
この3つの問いは、簡単そうで、実は難しい。
でもこれができる人は、
“怒り”じゃなく“信用”で人を動かせる人になる。
ミスした側も、自分を疑え

現場で怒られたとき、つい口にしてしまう言葉がある。
「そんな話、聞いてません」
「オレはちゃんとやりましたよ」
「指示がなかったですよね?」
その気持ち、正直わかる。
オレも昔、何度もそう思ったし、そう言い返したこともある。
でも今ならはっきり言える。
「オレは悪くない」って即座に言い返すのは、ちょっと早い。
自分の記憶はあてにならない。
さっき話したように、人間の記憶ってすごく曖昧だ。
「あのとき言われたと思ってたけど、別の件だった」
「説明されたけど、頭が別のことでいっぱいだった」
「なんか聞いた気はするけど、ちゃんと理解してなかった」
そういうズレは、誰にでもある。
オレたちは機械じゃないから、記憶のミスは“仕方ないこと”でもあるんだ。
責任転嫁より事実確認の姿勢。
たとえば、こんな言い方はどうだろう?
「すみません、もしかしたら聞き逃してたかもしれません」
「自分の中でちゃんと理解できてなかったかもしれないです」
「今の説明、もう一回いいですか?」
これだけで、空気が変わる。
責任を押し返すんじゃなくて、誠実に事実を確認しようとする姿勢は、
逆に信頼されるんだ。
ミスよりも、「あとの対応」が大事
現場で信頼される人って、ミスをしない人じゃない。
ミスをしたときに、言い訳ばかりせず、
事実と向き合って、誠実に対応する人なんだ。
「オレは悪くない!」って跳ね返したくなる気持ちをグッとこらえて、
一度、「本当にそうか?」と自分に問いかけてみる。
そのクセがある人は、むしろ上司から信頼される。
指摘がうまいリーダーは
自分を疑える人
現場には、
いろんなタイプのリーダーがいる。
・何かあればすぐ怒鳴る人
・指摘はするけど、非は絶対認めない人
・とにかく責任は「下に流す」人
でも、オレが「この人すごいな」と思ったのは、自分のミスをちゃんと認める人だった。
謝れるのも器の大きさ
ある先輩が言ったこのひと言、今でも覚えてる。
後輩がミスをして報告したとき、
周りは「なんでそんなことしたんだ」とピリついてた。
でもその先輩だけは、後輩の報告を聞き終えたあと、こう言った。
「うーん、たしかにそう聞こえるな。説明が足りなかったな。ごめん」
誰も言い訳しないし、誰も言い逃れしない。
その場が一気に落ち着いた。
優秀なリーダーは「自分を疑える」
リーダーって、威張る人じゃない。
自分の発言や判断が、現場にどんな影響を与えるかを冷静に見られる人。
そのためには、
「自分が正しい前提」で話すんじゃなく、
「もしかしたら自分も間違っていたかもしれない」って視点を持てるかがカギなんだ。
100%嫌われる非を認めない責任者
逆に、自分のミスを認められない人って、
どんなに仕事ができても、現場ではあまり信頼されない。
なぜなら、「この人は何があっても自分を守るために人を責める」と思われてしまうから。
でも「ごめん、オレの説明が雑だった」
「たぶん確認不足だったな」って言える人は、
ミスをしても、人がついてくる。
ミスを減らすために必要なのは、
怒鳴り声でも、プレッシャーでもない。
「自分もミスする存在なんだ」と、素直に認める力。
結論:「まず、自分を疑え」
怒ることも、指摘することも、間違ってはいない。
でもその前に――
「自分の記憶や判断は、ほんとうに正しかったか?」
と問いかけるだけで、現場の空気はまるで変わる。
たった一言で、大きく変わる
たとえば、何かトラブルが起きたときに
リーダーがこう言ったとしよう。
「オレの伝え方がまずかったかもしれない」
「ちょっとオレの確認が甘かったな」
その一言だけで、部下はグッと安心する。
責任を押しつけられる不安が消え、「一緒に考えよう」って空気が生まれる。
自分を守るための知恵
「まず自分を疑う」って聞くと、なんだか弱々しく聞こえるかもしれない。
でも実は、これは**“一番冷静でいられる強さ”**なんだ。
人のせいにするほうが、よっぽど簡単。
でも、自分の記憶や判断をいったん疑ってみることで、
無用な争いや、理不尽な責任のなすりつけを避けられる。
最後に伝えたい問い
誰かのミスを見つけたとき、
責めたくなったとき、こう問いかけてみてほしい。
- オレの記憶、ほんとに合ってるか?
- 言った「つもり」になってないか?
- 感情で動いてないか?
「人のミスを指摘する前に、まず自分を疑え」
それは他人をかばうための言葉じゃない。
**自分と、仲間と、現場を守るための“魔法の問いかけ”**なんだ。