こんなに働いてるのに、なぜ苦しい?ズレたお金の考え方。

工場勤務者のずれたお金の考え方

マサル

半導体工場で派遣から正社員となり最年少で課内最優秀社員に選出。早期退職後、農業スタートアップや期間工を経験。現在は自動車部品メーカーで働きながら、副業(ブログ運営、YouTube編集、バーテンダー)や資産形成(iDeCo、NISA、不動産投資)を実践中。多彩な経験を活かし、働き方や生き方を模索し続ける。

「給料それなりにあるのに、なんでいつもカツカツなん?」
昔のオレは、それを全部“稼ぎのせい”にしてた。

でも違った。
金がないんじゃない。金の使い方がアホだっただけ。

車は新車、支払いはローン。
服も飲みもサブスクも、気分でポンポン金使って。
「今月もキツいな〜」とか言いながら、節約も運用もガン無視。

そんな生活、何年続けてた?
気づけば、自分の時間も体力も、全部“無駄遣い”してた。

でも、どっかで気づいたんよ。
お金ってのは、自由と時間を買うための道具だったって。
そこから人生、マジで変わった。

この記事は、オレみたいに“努力してるのに抜け出せない”やつに読んでほしい。
働き方じゃねぇ。
お前の“金の考え方”、ズレてんだよ。

金が残らない20代の話

「働いてるのに、ずっと苦しい」状態

地元じゃちょっと名の知れた、一部上場の超ホワイト企業。
20代のオレは、そこで「勝ち組」みたいな顔して働いてた。

給料は地元平均の倍。ボーナスも年3回。
なのに、給料日が来ても金が残ってることなんて一度もなかった。

見栄と快楽で金を溶かしてた

金の使い道は、ほぼ全部“快楽と見栄”。

- 車はローンで新車
- 服もサーフブランドでバチバチに決める
- 飲み会は奢り上等
- サーフトリップはノリと勢いで海外へ

いま思えば、あの頃のオレは“金をドブに捨てて満足してた”だけ。
なのに、「なんで貯金できねぇんだよ」とか思ってた。
頭おかしかったんだろうな。

甘い考えで地獄を見た。

そしてリーマンショック。
会社は早期退職者を募った。

叩かれたわけじゃない、自分で手を挙げた。
「自由になりたい」とか、カッコつけた言葉で逃げただけだった。

でも現実は甘くない。
何のスキルもない。学歴もない。
金もスッカラカン。
マンションのローンは残って、明日食うメシも買えない。

それでも最初は「なんとかなるっしょ」って思ってた。
でも、なんともならなかった。

自由になりたくて辞めたのに、
金がなきゃ、何も選べなかった。

あのとき、オレは思った。

「オレ、何してたんだ?」って。
金は“楽しむためのチケット”じゃなかった。
“生きることそのもの”に直結してた。

ズレを修正して人生も変わった

「お金の使い方を変えた後の変化」

あの日から、金のことを本気で考えた。

「お金って、なんなんだ?」
「どうして、こんなにも人生を左右するんだ?」

それまでのオレは、“楽しむために稼ぐ”って思ってた。
でも違った。
お金は、自分の時間と選択肢を守るための道具だった。

自分の体を削ってでも稼いだ理由

それからのオレは、体がぶっ壊れるくらい働いた。

- 花屋
- 箱工場
- 農業
- バーテン
- 車の期間工
- 清涼飲料メーカーの倉庫ピッキング

朝から晩まで、マジで体力ギリギリまで削った。

それでも働いた理由はひとつ。
「この先、自分の時間を守れる力を手に入れる」ため。

ズレを修正して、選べる人生へ

無駄な飲み代?いらねぇ。
ローン?組まない。
衝動買い?見栄のため?興味ない。

お金を使う前に、必ず“出口”を考えるようになった。

- これは何のために買うのか?
- この金を使って、オレの人生に何が残るのか?

それだけで、お金の使い方が変わった。
衝動も減ったし、ストレスも減った。
そして、金がちゃんと残るようになった。

金が貯まると、心にも余裕ができた。
「やりたくない残業は断る」
「体壊す交代勤務は辞める」

前は“できなかったこと”が、“選べること”に変わった。

オレは思った。

お金って、結局“自分の時間を買うための道具”だったんだなって。

浪費させられてる現実に気づけ

「いい車に乗ってるやつが勝ち組」
「休みの日は、ちょっと贅沢するのが正解」
「服や髪型に気を遣うのが、大人のマナー」

──誰が決めたんだよ、そのルール。

でも、気づいたらオレたち、そういう“正解っぽい”消費にがんじがらめにされてんだよ。

車に金かけて、飲みに金かけて、サブスク入れまくって、
「生活きつい」「なんで金ないんだ」って言ってる。

そりゃ、苦しいわけだ。

「日本の平均年収」と「新車の平均価格」の比較を視覚化

たとえば、いまの新車の平均価格──約379万円(※2024年・日本自動車販売協会連合会)
一方、厚労省のデータによると、サラリーマンの平均年収は約457万円。

つまり、車1台買うのに“年収の8割〜9割”が飛ぶ。
ローン組んでも出ていく金は変わらない。

むしろ金利がつく分、丸っと一年分。
あなたが働いた分の給料が車に消える。

車はまごうことなき消耗品だ。
いつかは価値は0円。
維持費もでかい。
廃車にするにも金がかかる。

車で人生を失敗する奴を俺は何人も見てきたよ。

“消費させるため”のメディア

でもメディアは、それを正しい選択として見せてくる。

- CMでは、家族の笑顔とともに新車が走る
- 雑誌は“男のステータス”として時計やクルマを特集
- YouTubeは「高級品でモチベUP」って謎理論

全部、“消費させるための仕組み”だ。
消費させることで、経済は回る。だから、オレたちは刺激され続ける。

人生何時間分の浪費か?

でもな。
その金は、自分の時間のかけらなんだ。
そのローン、そのサブスク、それ本当に“お前の自由”を増やしてくれてるか?

オレは、気づいた。
「欲しい」って感情の9割は、“仕掛けられた欲”だって。

そこに気づいたときから、
金を使うこと=自分の時間をどう削るかって視点に変わった。

これからも、車やサブスクを完全に否定するつもりはない。
でも、「考えて使う」ってことは、できるようになった。

何時間分の人生を削ってる?

「お金=時間と交換」だと可視化する図解

オレが変われた一番デカいポイント。
それは、「金=時間の代わり」って視点を持てるようになったこと。

たとえば、手取り月25万として。
1日8時間×22日働いてるなら、1時間の価値はざっくり1,420円くらい。

つまり、
- 1,500円のランチ → 自分の時間1時間分と交換
- 月5,000円のサブスク → 3.5時間分
- 50万円の車のローン → 自分の350時間=約2週間分の人生

そこまで考えて金使ってるか?
オレは昔、完全にノーだった。
欲しいと思ったら即ポチ。飲みの誘い?断る理由すらなかった。

でも金って、誰かの時間を買うための道具なんだよ。
外食するってことは、料理してくれる人の時間を買ってる。
野菜を買うのも、農家や運送業の人の時間を買ってる。
つまり、自分の時間と他人の時間を交換してるってこと。

それに気づいてから、オレの金の使い方はガラッと変わった。

- 衝動買い → 一晩寝かせて考える
- 趣味や贅沢 → 「この時間、買う価値ある?」って自問する
- 出費の前に → 「これはオレの未来に残るか?」って確認する

金を払う前に出口を考えろ!

逆に言えば、食べるもの・家族との時間・勉強に使う金はケチらなくなった。

なぜかって?
それらは、オレの“これからの時間”をつくる金の使い方だから。

お金を使うってことは、“時間の再設計”なんだ。
気持ちで動く前に、一回「自分の人生、何に使う?」って考えてみてほしい。

理解しないと“使われる側”で終わる

小難しい話に聞こえたかもしれない。
でもな──

これ、理解しないままだと、マジで一生“使われる側”で終わるぞ。

金に振り回されて、時間を奪われて、生き方まで選べなくなる。
そうならないための“考え方のスタートライン”が、ここにある。

時間と自由を買える人へ大転換

「見栄にお金を使う人」と「時間のために使う人」の比較

オレは今、交代勤務もしてないし、ムダな残業もしない。
体も壊してないし、家族との時間もちゃんとある。

昔と比べたら、稼ぎは落ちたかもしれない。
でも今の方が、何倍も“自分の人生”を生きてる実感がある。

時間を自分の意思で使えるか?

お金を使うとき、オレはもうブレない。
それが「自分の時間を削る価値があるか?」
「未来の自分を助けるか?」
そうじゃないものには、金は使わない。

その結果、
- 働き方を“選べる”ようになった
- 家族との時間を過ごせるようになった
- 自分のペースで勉強や副業もできるようになった

これが、オレが金の使い方を変えて手に入れた“自由”だ。

自由って、急に誰かがくれるもんじゃない。
金の使い方を変えることで、少しずつ、じわじわと手に入ってくる。

見栄のために金を使うのか、
“自分の人生”のために金を使うのか。

この差は、思ってるよりデカい。

働いてるのに、自由になれない。
もし今そう感じてるなら──
まずは、金の使い方から見直してみてくれ。

お前の時間は、お前が守れ。
そのために“お金”がある。

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半導体工場で派遣から正社員となり最年少で課内最優秀社員に選出。早期退職後、農業スタートアップや期間工を経験。現在は自動車部品メーカーで働きながら、副業(ブログ運営、YouTube編集、バーテンダー)や資産形成(iDeCo、NISA、不動産投資)を実践中。多彩な経験を活かし、働き方や生き方を模索し続ける。