「給料それなりにあるのに、なんでいつもカツカツなん?」
昔のオレは、それを全部“稼ぎのせい”にしてた。
でも違った。
金がないんじゃない。金の使い方がアホだっただけ。
車は新車、支払いはローン。
服も飲みもサブスクも、気分でポンポン金使って。
「今月もキツいな〜」とか言いながら、節約も運用もガン無視。
そんな生活、何年続けてた?
気づけば、自分の時間も体力も、全部“無駄遣い”してた。
でも、どっかで気づいたんよ。
お金ってのは、自由と時間を買うための道具だったって。
そこから人生、マジで変わった。
この記事は、オレみたいに“努力してるのに抜け出せない”やつに読んでほしい。
働き方じゃねぇ。
お前の“金の考え方”、ズレてんだよ。
金が残らない20代の話

地元じゃちょっと名の知れた、一部上場の超ホワイト企業。
20代のオレは、そこで「勝ち組」みたいな顔して働いてた。
給料は地元平均の倍。ボーナスも年3回。
なのに、給料日が来ても金が残ってることなんて一度もなかった。
見栄と快楽で金を溶かしてた
金の使い道は、ほぼ全部“快楽と見栄”。
- 車はローンで新車
- 服もサーフブランドでバチバチに決める
- 飲み会は奢り上等
- サーフトリップはノリと勢いで海外へ
いま思えば、あの頃のオレは“金をドブに捨てて満足してた”だけ。
なのに、「なんで貯金できねぇんだよ」とか思ってた。
頭おかしかったんだろうな。
甘い考えで地獄を見た。
そしてリーマンショック。
会社は早期退職者を募った。
叩かれたわけじゃない、自分で手を挙げた。
「自由になりたい」とか、カッコつけた言葉で逃げただけだった。
でも現実は甘くない。
何のスキルもない。学歴もない。
金もスッカラカン。
マンションのローンは残って、明日食うメシも買えない。
それでも最初は「なんとかなるっしょ」って思ってた。
でも、なんともならなかった。
自由になりたくて辞めたのに、
金がなきゃ、何も選べなかった。
あのとき、オレは思った。
「オレ、何してたんだ?」って。
金は“楽しむためのチケット”じゃなかった。
“生きることそのもの”に直結してた。
ズレを修正して人生も変わった

あの日から、金のことを本気で考えた。
「お金って、なんなんだ?」
「どうして、こんなにも人生を左右するんだ?」
それまでのオレは、“楽しむために稼ぐ”って思ってた。
でも違った。
お金は、自分の時間と選択肢を守るための道具だった。
自分の体を削ってでも稼いだ理由
それからのオレは、体がぶっ壊れるくらい働いた。
- 花屋
- 箱工場
- 農業
- バーテン
- 車の期間工
- 清涼飲料メーカーの倉庫ピッキング
朝から晩まで、マジで体力ギリギリまで削った。
それでも働いた理由はひとつ。
「この先、自分の時間を守れる力を手に入れる」ため。
ズレを修正して、選べる人生へ
無駄な飲み代?いらねぇ。
ローン?組まない。
衝動買い?見栄のため?興味ない。
お金を使う前に、必ず“出口”を考えるようになった。
- これは何のために買うのか?
- この金を使って、オレの人生に何が残るのか?
それだけで、お金の使い方が変わった。
衝動も減ったし、ストレスも減った。
そして、金がちゃんと残るようになった。
金が貯まると、心にも余裕ができた。
「やりたくない残業は断る」
「体壊す交代勤務は辞める」
前は“できなかったこと”が、“選べること”に変わった。
オレは思った。
お金って、結局“自分の時間を買うための道具”だったんだなって。
浪費させられてる現実に気づけ
「いい車に乗ってるやつが勝ち組」
「休みの日は、ちょっと贅沢するのが正解」
「服や髪型に気を遣うのが、大人のマナー」
──誰が決めたんだよ、そのルール。
でも、気づいたらオレたち、そういう“正解っぽい”消費にがんじがらめにされてんだよ。
車に金かけて、飲みに金かけて、サブスク入れまくって、
「生活きつい」「なんで金ないんだ」って言ってる。
そりゃ、苦しいわけだ。

たとえば、いまの新車の平均価格──約379万円(※2024年・日本自動車販売協会連合会)
一方、厚労省のデータによると、サラリーマンの平均年収は約457万円。
つまり、車1台買うのに“年収の8割〜9割”が飛ぶ。
ローン組んでも出ていく金は変わらない。
むしろ金利がつく分、丸っと一年分。
あなたが働いた分の給料が車に消える。
車はまごうことなき消耗品だ。
いつかは価値は0円。
維持費もでかい。
廃車にするにも金がかかる。
車で人生を失敗する奴を俺は何人も見てきたよ。
“消費させるため”のメディア
でもメディアは、それを正しい選択として見せてくる。
- CMでは、家族の笑顔とともに新車が走る
- 雑誌は“男のステータス”として時計やクルマを特集
- YouTubeは「高級品でモチベUP」って謎理論
全部、“消費させるための仕組み”だ。
消費させることで、経済は回る。だから、オレたちは刺激され続ける。
人生何時間分の浪費か?
でもな。
その金は、自分の時間のかけらなんだ。
そのローン、そのサブスク、それ本当に“お前の自由”を増やしてくれてるか?
オレは、気づいた。
「欲しい」って感情の9割は、“仕掛けられた欲”だって。
そこに気づいたときから、
金を使うこと=自分の時間をどう削るかって視点に変わった。
これからも、車やサブスクを完全に否定するつもりはない。
でも、「考えて使う」ってことは、できるようになった。
何時間分の人生を削ってる?

オレが変われた一番デカいポイント。
それは、「金=時間の代わり」って視点を持てるようになったこと。
たとえば、手取り月25万として。
1日8時間×22日働いてるなら、1時間の価値はざっくり1,420円くらい。
つまり、
- 1,500円のランチ → 自分の時間1時間分と交換
- 月5,000円のサブスク → 3.5時間分
- 50万円の車のローン → 自分の350時間=約2週間分の人生
そこまで考えて金使ってるか?
オレは昔、完全にノーだった。
欲しいと思ったら即ポチ。飲みの誘い?断る理由すらなかった。
でも金って、誰かの時間を買うための道具なんだよ。
外食するってことは、料理してくれる人の時間を買ってる。
野菜を買うのも、農家や運送業の人の時間を買ってる。
つまり、自分の時間と他人の時間を交換してるってこと。
それに気づいてから、オレの金の使い方はガラッと変わった。
- 衝動買い → 一晩寝かせて考える
- 趣味や贅沢 → 「この時間、買う価値ある?」って自問する
- 出費の前に → 「これはオレの未来に残るか?」って確認する
金を払う前に出口を考えろ!
逆に言えば、食べるもの・家族との時間・勉強に使う金はケチらなくなった。
なぜかって?
それらは、オレの“これからの時間”をつくる金の使い方だから。
お金を使うってことは、“時間の再設計”なんだ。
気持ちで動く前に、一回「自分の人生、何に使う?」って考えてみてほしい。
理解しないと“使われる側”で終わる
小難しい話に聞こえたかもしれない。
でもな──
これ、理解しないままだと、マジで一生“使われる側”で終わるぞ。
金に振り回されて、時間を奪われて、生き方まで選べなくなる。
そうならないための“考え方のスタートライン”が、ここにある。
時間と自由を買える人へ大転換

オレは今、交代勤務もしてないし、ムダな残業もしない。
体も壊してないし、家族との時間もちゃんとある。
昔と比べたら、稼ぎは落ちたかもしれない。
でも今の方が、何倍も“自分の人生”を生きてる実感がある。
時間を自分の意思で使えるか?
お金を使うとき、オレはもうブレない。
それが「自分の時間を削る価値があるか?」
「未来の自分を助けるか?」
そうじゃないものには、金は使わない。
その結果、
- 働き方を“選べる”ようになった
- 家族との時間を過ごせるようになった
- 自分のペースで勉強や副業もできるようになった
これが、オレが金の使い方を変えて手に入れた“自由”だ。
自由って、急に誰かがくれるもんじゃない。
金の使い方を変えることで、少しずつ、じわじわと手に入ってくる。
見栄のために金を使うのか、
“自分の人生”のために金を使うのか。
この差は、思ってるよりデカい。
働いてるのに、自由になれない。
もし今そう感じてるなら──
まずは、金の使い方から見直してみてくれ。
お前の時間は、お前が守れ。
そのために“お金”がある。