正直、「これ何が面白いん?」って動画、多くないか?
ネコがすべって転ぶだけ。
誰かの昼メシ。
カップラーメンがふくらんだってだけの話。
でも――
気づいたら、見てる。
コメントまで読んで、「わかるわ〜」ってニヤけてる。
で、ふと思うわけよ。
俺たち、毎日“どうでもいい事”をスマホで眺めてる。
今日の申し送り
「バカにしてた“どうでもいい事”に、実は人が集まってる。」
どうでもいい話してるやつ、実はつよい説

「くだらなさ」に、人はひきつけられる
たとえば、最近のSNS。
バズってるのって、なんだかんだで「ゆるいネタ」ばっか。
・猫の変な寝方
・子どもの珍回答
・現場あるあるの“どうでもよさ”満点の投稿
そういうのが、再生されて、拡散されて、共感されてる。
なんでかって?
今の世の中、ガチガチに“ちゃんとしてるもの”ばっかりで、みんな疲れてるから。
現場でも、「ゆるい話」できるやつに人が集まる
朝イチの点呼で「昨日の晩メシなんだった?」って聞くやつ。
作業の合間に「最近さ、〇〇課の△△さん見た?」って話すやつ。
くだらないダジャレ言ってスベってるやつ。
「お前、何のためにその話してんの?」って思うかもしれん。
でもよく見てみ?
そういうやつの周りに、人が集まってるんよ。
理由はシンプル。
“意味がないこと”には、安心感があるから。
「何が価値になるか」なんて、もう誰にも分からない
今の時代、「おもしろい」「ホッとする」「なんか好き」――
そういう感覚のほうが、人を動かす。
つまり――
自分にとっては“どうでもいい話”でも、誰かには刺さるかもしれないってこと。
副業で発信したいなら、そこにヒントがある
「ブログやってみようかな」
「YouTubeやってみたいけど、内容が浮かばない…」
「SNSで発信したいけど、オチのない話しかない」
――それ、全部OK。
むしろ、“ちゃんとしてない発信”が、今は強い。
だったら、まずは出してみりゃいい。
どうでもいい話こそ、今の時代の“金のタネ”かもしれんぞ?
“ちゃんとしてない発信”が、人の心を動かす
「どうでもいいことなんか、誰が見るんだよ…」
「バズるのは、才能あるやつだけだろ?」
――そんなふうに思って、止まってる人。
たぶん、めちゃくちゃ多い。
でもな、それってすげぇもったいない。
なぜ、人は“ゆるい発信”に惹かれるのか?
SNSでバズってる投稿、よーく見てみてほしい。
・ネコが変な寝方してるだけの写真
・「今日の晩メシ、ラーメン」ってだけの投稿
・現場の“あるある”を1行だけつぶやいてるアカウント
情報としてはゼロ。
でも、感情が動くんよ。
「わかるわ〜」「うちの現場にもおる!」――
発信って、“役立つかどうか”より、“感じてもらえるかどうか”が大事。
「スベったらどうしよう」って気持ち、わかる
「スベったら恥ずかしい」
「誰にも見られなかったら、ムダだったんじゃ…」
でもそれって、“プロ目線”で考えすぎなんよ。
- ・誰も見てないSNSに、今日の昼メシをあげてみる
- ・1人しか見てないブログに、作業中のひとコマを書く
- ・思いついたひと言を、YouTubeのショート動画でつぶやいてみる
それだけでも、
「お、やってるやん」って言ってくれるやつが出てくる。
そこから始まるつながりもある。
「発信=すごいこと」じゃなくていい
・インフルエンサーみたいにならなくていい
・毎日投稿できなくてもいい
・バズらなくていい
ちょっと出してみる。それだけで、あなたの発信は価値になる。
むしろ今は、
“ちょっとダサい”“ちょっとゆるい”くらいのほうが、共感される時代。
「自信がないから発信できない」は、逆なんだよ
本当は――
発信してみるから、自信がついてくる。
たとえ、反応がゼロでもいい。
「出した」っていう事実が、少しずつ心を強くしてくれる。
発信って、筋トレと同じ。
1回目はスカスカかもしれん。
でも続けるうちに、“自分の声”が少しずつハッキリしてくる。
「どうせ誰も見ない」じゃなくて、「どうせだから出してみるか」でいこうぜ。
誰に見られなくても、変われるのは“自分”やで

明日からできる、ゆる発信3つ
1. “写真1枚+ひと言”でOK
→ 「今日の現場の空、いい感じ」「今日の差し入れ、あたり」
2. 自分のために記録するブログ
→ 公開でも非公開でもOK。“思ったことを言葉にする練習”になる
3. 「共感ネタ」をためとくクセをつける
→ 作業中のちょっとした“イラッ”とか“クスッ”をメモするクセをつける
「意味があるかどうか」なんて、後からついてくる
「金になるか?」
「バズるか?」
「誰かが見てくれるか?」
――そんなの、自分でコントロールできん。
でもさ、
“自分が今できること”を、やるか・やらんかは、自分で決められるやろ?
変わらない周囲より、変わっていく自分を見てほしい
周りは変わらんかもしれん。
でも――
自分の中の声のボリュームは、確実に変わっていく。
・「出してみたら、ちょっと楽しかった」
・「昨日より今日の方が、書きやすい」
・「前より、“自分の言葉”に手応えがある」
こういう小さな変化こそ、ほんまの“価値”なんちゃうか。
最後にひと言
やらない理由より、「やってみて何が起きるか?」の方がおもろいで。
どうでもいいことでもええ。
自信なくてもええ。
誰も見てなくてもええ。
「それでも俺は出してみた」っていう一歩。
それが、百万倍カッコええよ。