なんで働いてるんだろうな…
ふと、そんなことを思う瞬間がある。
家を買って、家族との時間が増えると思ってたのに、
現実は朝から晩まで働きづめ。
家に帰って起きてる時間なんて、ほんの数時間だけ。
「これ、誰の人生なんやろ」って、
自分でもよくわからなくなる日がある。
働くのが嫌いなわけじゃない。
頑張るのが悪いとも思わない。
ただ——
時々、バカらしくなるだけだ。
なぜ、時々バカらしくなるほど働いてしまうのか

ときどき思わんか?
「なんかさ…ずっと働いてばっかりやな」って。
別に仕事が嫌いなわけでもないし、
サボりたいとか、逃げたいとかでもない。
ただ、ふとした瞬間に胸の奥が静かにモヤッとする。
信号待ちのときとか、休憩室でぼーっとしてるときとか。
ふいにこんな考えが浮かんでくる。
「これ、ずっと続けるんやろか…?」
昔の人の暮らしを思うとさ、
なぜか胸がぎゅっとなるときがあるんよ。
薪で火を起こして、
ろうそくで明かりを灯して、
日の出とともに働いて、日が暮れたら休む。
不便やけど、
そこには“自分のペース”がちゃんとあった。
“生きるために働く”
ただそれだけのシンプルな線が、真っすぐ通っとったんよな。
ときどき思うんよ。
便利になってるはずなのに、
なんでオレらの自由は増えへんのやろって。
昔の人の暮らしには不便も多かったはずなのに、
どこか「自分のリズム」で生きてた感じがあるやろ。
働くって何?をマジで考えた思想家
最近、本で読んだんやけどな。
イリイチという学者がこう言っとった。
「便利な道具は、人を助けるために作られる。でも一定のラインを超えたら、その道具のために人が動かされるようになる。」
……たしかにそうやなって思った。
イリイチ(イヴァン・イリイチ)
1926年生まれの思想家、
学校・医療・交通・働き方、
**「当たり前になりすぎた仕組み」**を疑い続けた。
家や車やスマホやいろんなサービスも、
最初は「暮らしを楽にするため」に生まれたはずやのに、
気がついたらその維持のために働かされてる感じがある。
便利さが増えすぎると、逆に不自由になる
言われてみれば、まさにその通りなんよな。
今は便利になったはずなのに、
なぜか心が軽くならん。
電気、車、スマホ、家電。
便利な物は山ほど増えたのに、
自由はむしろ減ったように感じる。
便利な物が増えるほど、
それを維持する“支払い”が増えて、
働く時間ばかりが長くなる。
気がつくと、
便利になればなるほど、不自由になってる気がする。
答えなんてわからんけど、
このモヤモヤは、きっとあんただけやない。
家族のために働いてるはずなのに、家族と過ごせない矛盾

ふと家のリビングに座ったときに思う。
「あれ…オレ、なんのために家買ったんやっけ」
家族と過ごす時間を増やしたくて買ったはずの家なのに、
気づいたら家にいるのは寝る前の2〜3時間だけ。
子どもに「おやすみ」しか言えん日が続くと、
胸の奥がスーッと冷えていくんよな。
家族のために働いてる。
その気持ちは嘘やない。
けど、家族と過ごす時間がどんどん減っていく。
この矛盾は、ほんまにきつい。
現場を見渡すと、同じような仲間が多い。
家族のために働いてるはずなのに、家族と過ごせない矛盾
家を買って、
「これで家族との時間が増える」
そんな未来を思ってたのにな。
現実は、
朝から晩まで働きっぱなしで、
家に帰ったら、子どもはもう眠そうで、
「おやすみ」って一言いうだけで一日が終わる。
気づけば、
家にいる時間なんて2〜3時間。
“家族のために働いてるはずが、
家族と過ごす時間はどんどん減っていく。”
この矛盾は、ほんまに刺さる。
そして現場には、同じような仲間がたくさんいる。
ちょっと話すだけで、
その人の毎日に “何か重たいもの” がのっかってるのがわかるんよ。
例えば i君。
i君:高級車を維持するために、自由を差し出してしまった話

i君は車が大好きで、
「これ乗るんが夢なんすよ」と目を輝かせてた。
最初は、人生を楽しむための “ただの道具” やったんよな。
でも維持費が重くて、
交替勤務を増やして、
それでも足りんから週末は夜バイト。
気づいたら、
車に人生を合わせる働き方 になってしまってた。
便利なものって、本来オレらを助けるためにあるはずやのに、
あるラインを超えると、
逆に “そいつのために働かされる” ことがある。
イリイチはこんなことを言っとる。
「道具は人を助けるためにある。でも一定ラインを超えたら、その道具のために人が動かされるようになる。」
車が悪いわけやない。
ただ、
「道具の逆機能」 が静かに起きてしまっただけ。
i君はまさにその状態で、
自由を広げてくれるはずの車が、
いつの間にか自由を食いはじめた。
S君:妻への執着 × 妻の“モノへの執着”で働き方が崩れていく話
S君は、ちょっと事情が違う。
本人は欲しいものなんかないのに、
妻が次々とモノを欲しがる。
止めたいけど止められない。
「喜ばせたい」
「嫌われたくない」
「ケンカしたくない」
そんな気持ちが積み重なって、
交替勤務に加えて毎日コンビニバイトまで入れるようになった。
見てて思うんよ。
人って、誰かの“期待”の中でも自由を失っていくんやな。
イリイチはこういう“目に見えん力”のことを指して、
こんなことを言っとる。
「人は、自分の自由を“誰かの望み”の中で失うことがある。」
S君の働きすぎは、
システムに飲まれたわけでも、贅沢したいわけでもない。
ただ、
誰かの期待の中で、自分のペースが消えていっただけ。
これはこれで、
イリイチが言う「自由を奪う構造」のひとつなんよ。
S君の働きすぎは、
ただ、
人間関係の中で、自分の働き方を決められなくなっただけ。
これもまた、
静かに自由を奪っていく力なんよ。
K君:欲しかった家が、時間を奪いはじめる瞬間
K君は夢だった豪華な家を建てた。
もちろん悪いことじゃない。
夢を形にしたんやから、すごいことや。
でもローンが重くのしかかって、
週末はすべてバイト。
家族のために建てた家なのに、
その家で過ごす時間が一番減ってしまう。
よくある話やけど、
人が手に入れる“豊かさ”って、
大きすぎると自由を食い始めることがあるんよな。
イリイチはこう言っとった。
「人が本当に必要とするものは、過剰に大きくない。過剰は必ず、自由を食いはじめる。」
K君の家もそういう意味で“少し大きかった”のかもしれん。
ローンが重くのしかかって、
週末は全部バイト。
家族のために建てた家なのに、
その家で過ごす時間がいちばん減るという皮肉。
これはまさに、
“豊かさの逆機能” や。
豪華なものを手に入れた瞬間は嬉しいけど、
その維持が自由を削ってしまう。
K君が疲れていく背中を見るたびに思う。
過剰な豊かさって、静かに人の自由を削っていくんやな… と。
現場に広がる“同じ違和感”
休憩室で誰かが
「眠いっすわ…」
「今月キツい…」
「またバイト行かな…」
そんなふと漏らす一言の裏には、
みんな同じような “見えへん重さ” を抱えてる。
i君みたいに“道具に追われる”人もいれば、
S君みたいに“誰かの期待に縛られる”人もおる。
K君みたいに“豊かさの重さ”に押される人もおる。
みんな違うようで、
みんなどこかで自由を奪われてる。
そして、
きっと読んでるあんたも、
どれかひとつは胸に刺さったと思う。
「なんでこんなに働いてるんやろ」
その気持ちは、オレらだけやない。
現場中に広がってる。
最後に。俺がひとつだけ思うこと
オレらの暮らしって、
気を抜くとすぐに“でっかい仕組み”に飲まれてしまう。
でも本当に必要なもんって、
そんなに大きくないのかもしれんな…
最近そんな風にも思う。
働くことが悪いとは思わん。
むしろ働けるのはありがたい。
ただな、
“必要以上に働いてへんか?”
この問いだけは、自分の中から消したくない。
誰にも言わんでええ。
正解もいらん。
ただ、自分に嘘をつかんようにするために。
ふとバカらしくなる日があってもええやん。
オレらはみんな、
迷いながら働いてるんやから。